Traditional Ayurveda Japanの軌跡 3

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2018年9月

Traditional Ayurveda Japan は「アーユルヴェーダスクール」として再び新たな歩みを始めることになりました。

この機会に、これまでの歩みを振り返り、ここからの展望についてこちらに記しておきたいと思います。

(Traditional Ayurveda Japanの軌跡1はこちら
(Traditional Ayurveda Japanの軌跡 2はこちら
 


プレッシャーに弱く自己嫌悪の塊だった自分

 

頑張ることが良いこと。

みんなの期待に応えることが認めてもらえること。


怒られたり否定されるのは

頑張りが足りないから。

求められる期待に応えられてないから。。


という初期設定ができている私はあらゆる場面で壁に当たりました。

プレッシャーという壁です。

私はなんでも最初に「好き」とか「楽しい」という動機で物事を始めるのですが、

期待に応えようと、頑張ってしまう。

いつしか、「好き」や「楽しい」気持ちよりも

「ねばならない」

という義務が先立つ。

で、プレッシャーに押し潰されてしまう。。

毎回同じパターンでリタイヤする。

頓挫する度に私はセルフイメージがどんどん下り自己嫌悪に陥る。

「何にも極められない中途半端で駄目な自分」

というコンプレックスが積み重なり続けていました。



 

死にゆく母と向きあって遂に気づけた

2016年夏、実母が予後の悪いウィルス性の白血病(成人T細胞白血病)を発症しました。

診断された時点で、非常に勢いを増してしまっていて、母は高齢なこともあり根本的な治癒のみこみはほぼない、という状態でした。

母は、70歳を過ぎても現役の看護師として病棟勤務をし続けていました。

仕事が生きがい。

言葉通り、家族との時間よりも仕事を優先し続けた人でした。

母は若い頃から、私たち家族を支えるためにずっと働きづつけてきました。

質素倹約、貯金をコツコツ、保険もいくつもかけてきた母。

口癖は「働かないと生活できない」でした。

約一年間病床にいた母でしたが、一度も弱音を吐きませんでした。

脳や骨も含め全身に転移しているので、相当辛いはずなのに

主治医の先生も驚くほど、とにかく我慢強い。

辛さを全部一人で背負って、がんばる母を見て

私も、「頑張りなさい」「我慢しなさい」と育てられてきたんだよなあ、、、と色々なことに合点がいきました。

そして遂に、母に甘やかしてもらいたかった小さな私に出会う事ができました。


本当は母に抱きしめて欲しかった。

手を繋いで欲しかった。

でも忙しい母にそんなことは絶対に言えなかった。

 

その小さな私に出会えた日、沢山の涙を流しました。

そして病床の母の手を強く握り「お母さんともっと触れ合いたかったよ」
 

と伝えました。

すでに母は意識が無かったのですが。。


家族のために、生活のために、患者さんのために、休むことなくひたすら身を粉にして働き続けた母は、がんばる母のまま、あっという間に旅立っていってしまいました。
 

存在意義を探し続けていた

母が旅立って、今まで認識できていなかった自分の姿が少しづつ明らかになってきました。

何をしても中途半端で駄目な私

というセルフイメージの根っこにあるもの。

確かに存在している自分なのに「自分」に実感を持てなかったから、

自分が何ものなのか? 自分の存在意義を探し続けてきたのです。

子供の頃からずっと。



Traditional Ayurveda Japanの軌跡4 へ続く>

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ご参加お申し込みなどは必要ありませんので、どうぞお気軽に繋いでください。

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