正しい手段を選ぶこと。素直に聞くこと。

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私たちは、何かを理解しようとする時、知るための手段が必要です。
その手段なしには正しい理解は難しく、自分の経験の範疇をでることはありません。
また、知りたいことと知るための手段が一致していなかったら、正しく知ることはできません。

よく日常にある光景ですが、、じぶんの知らないものに出会った時、
「まるで、、◯◯のようだな」
とじぶんの知っているものに例えて理解します。
でもそれは、似ているけど、同じではない

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<ドラゴンのような雲>


お料理の作り方を知りたいときに、私たちはお料理の本を読みます。
決して体操の本を読みません。(当たり前!)

お料理の本に書かれたレシピどおりにお料理をつくりたければ、分量どおり材料を揃えて作らなければ、作りたい、とおもったお料理にはならず、
なんとなくそれに似た、でもまるで違うもの、が出来上がります。

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あえて違うものを作る、という目的であればそれもアリかもしれませんが、私の作りたかったお料理を作るために、その本を手元においているのに、書かれていることを正しく理解せず、自己解釈で作ってしまい、結果まるで違うものになって「うーん、、これは全然美味しくない、この本には私の知りたかった料理レシピはかいてない」と文句をいっている状態。

アーユルヴェーダを学んで実践していく中でも、こういったことはもう日常的に起きているような気がします。。

アーユルヴェーダのテキストはとても古く、しかもサンスクリット語でかかれていて、独特の文化の中に生まれてきた医学です。
その背景やテキストに記されているサンスクリット語がわからない状態で、だれかがその時代にあわせて、その人の理解の中で翻訳したものをそのまま鵜呑みにしてしまうのは、かつてルシ(賢者)が伝えようとしていたアーユルヴェーダから遠く離れてしまうのではないか。

そもそも、ルシ(賢者)が書いたテキストを、一般現代的な解釈のみで捉えるのに無理があって、そこにはヴェーダへの深い理解が共になければまず難しいと思うのです。

古代のことを知ってどうする、今に使える部分だけ使えばいいじゃん。

という声も聞こえますが、わたしたちに今見えているもの、認識できるもの、、そこを超えることができてはじめて、わたしたちの生命への本質的理解が可能になる、と思うのです。

アーユルヴェーダは、肉体を扱う学問です。
人間の構造および生理機能として認識できるもの以外は原則として対象外となります。
ですから、アーユルヴェーダを実践したら神通力がつく、とか、見えなものが見えるようになる、とか悟れる、とかありません。

ただ、アーユルヴェーダが扱っている肉体そのものの概念が現代科学的な見方と少し違うのです。

アーユルヴェーダの示す肉体の概念を正しく知ること。
なぜなら、アーユルヴェーダを記した先人・賢人(ルシ)たちは、すでにその理解の上に肉体を扱う方法を指示したからです。

正しく知ろうとするときに、その手段を正しく選択すること。
そして、自分の勝手な解釈やかつての経験が邪魔して、正しい理解を阻害しない状態であること。まずは、素直に話を聞くこと。

そこから全ては始まります。

毎週土曜の午後に開催されているサンスクリット語とヴェーダーンタの叡智シリーズクラス

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入門、初心者にも、アーユルヴェーダを学ぶものであれば是非理解しておきたい生命のこと、人間がどう生きるのか、というテーマを学んでいける、聖典バガヴァッドギーターのエッセンスを丁寧に解説していただけます。
現在満席でのスタートですが、今週末は欠席者が数名でているため、途中参加可能になります。


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